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タートルネックのセーターに首から万年筆を挟み込み、ジャンパー姿でふらっと現われた老人がその人であった。
なぜ肝移植をはじめたかという問いについてはこう答えた。
「ひとつは癌の撲滅。
もうひとつが臓器移植。
そのうち癌は撲滅されるといわれたし、それはその後も、またいまもいわれるわけですが、それで移植を選んだのです」それは、大海にオール一本で漕ぎ出したボートのごときものだった。
出発当時の模様をスターツルはこう記している。
わからず、臓器保存の技術もなかった。
組織適合検査も知られておらず、免疫抑制剤も使用できる時代ではなかった。
アザチオプリン(薬品名イムラン)が知られだしたのも一、二年後である。
いくつかの点でまったく手探りであった。
そして門外不出で無意味な実験的研究が五年も続いたのである。
なぜ臨床を続けてきたのか?ったけれども、五年生存率は二〇パーセントに過ぎなかった。
でもそこに入ることのできた人にとってはすべてであるわけでしょう。
少なくてもゼロよりは断然いいと私は思ってきた。
「いまも健康な生活を送っている人もいるし、子供を生んだ人もいる。
だから続けてきたわけです」私の関心はいかにすれば病気を治せるかということだけだった。
「私へのいろんな批判はあったけれども患者を軽く考えたことは一度もありません。
患者を実験的な材料と考えたこともありません。
私の人生はただ、病気とたたかうことにあったし、それ以外のどんな人生哲学ももっておりません」このインタビューを行なったのは一九九一年五月である。
日本国内では、K大、信州大を中心に二十数例の生体肝移植の症例が重ねられていた時期である。
スターツルに生体肝移植の是非について意見を求めたが、否定はしないが自分は手を染めないという見解を述べた。
スターツルが生体肝移植に消極的であったのは、治療効果に対してではなくドナーとなる健康人の肝臓切除への危惧からである。
かつて生体腎移植も行なった体験を語りながら、生体をドナーとする治療法について「いつか重大事故が起こる可能性」を指摘し「私自身はやりません」と明快に答えた。
一方また、脳死移植が閉ざされた日本の状況もよく知っていた。
はドクター・オザワのK大学だと聞いているが、日本の熟練した外科医たちがすすめていくならそれだけ危険度は小さいだろう。
けれどもいずれ日本も変わっていくだろう」あしざまにはいわなかったけれども、死体(脳死者)から臓器を摘出することに比べて、生体にメスを入れることは非倫理的かつ非合理的というのがスターツルの本音であるように思われた。
この当時、アメリカ国内で唯一生体肝移植をすすめていたのはシカゴ大学のクリストフーブローリッシュである。
私かブローリッシュの研究室を訪れたとき、十数例の臨床を行なっていた。
脳死肝移植が日常的に行なわれているアメリカでなぜ生体肝移植をするのか。
ブローリッシュはこう答えた。
「二〇パーセントから四五パーセントの子供たちが待機中に亡くなっている。
このプロジェクトをはじめた理由はドナー不足に尽きる」加えて、生体肝移植が脳死肝移植より優れている点があることを強調した。
「部分移植であるからそれだけ手術はむずかしいが、ドナー肝が良好であることも大きい」ドナーの安全性は絶対であると言っているのではなく、十分な情報を提供した上で患者が選んでいることなのです。
この手術はトリッキーな特別なものであって、万一の場合、ドナーが死ぬこともある。
要は危険と利益を計った上でどう判断すべきか、ということ。
われわれは、「生体肝移植にはリスクを上回るベネフィットがあると判断している」スターツルの意見はご存じですね。
項であることももちろん承知しているが、もうひとつ別の選択があってなぜいけないのだろか。
スターツル教授も生体肝移植を全面的には否定していない。
いずれにせよリスクの高い治療手段であって、どこでやってもいい手術ではない。
きちんとした技術をもった特別なチームが厳しいルールのもとでやるべきものと考えています」ブローリッシュはドイツ人である。
のち帰国し、ハンブルグ大学でも生体肝移植のプロジェクトをはじめた。
部分肝移植とは、脳死者から摘出した肝臓の一部(左葉または右葉)を移植するもので、ドナーが不足する小児に対して行なわれはじめた。
さらに左葉、右葉を二人の患者に移植することを部分分割肝移植と呼ばれている。
前者の成功例は一九八四年フランスで、後者は八八年ドイツで成功例が伝えられたが、生体肝移植はこの延長上に考え出されたものである。
生体肝移植の第一例は、一九八八年十二月、ブラジルーサンパウロ心臓研究所で、二十三歳の母親の左葉が四歳の女児に移植されたが、女児は一週間後に死亡している。
翌一九八九年九月、オーストラリアーブリスペーンの王立こども病院からはじめて成功例が伝えられた。
患者は肝移植を希望して渡豪していた熊本県の一歳五か月の男児で、提供者は母親だった。
執刀者はピッツバーグで訓練を重ねた移植外科医である。
なお、この男児は日本に帰国後、拒絶反応が起こり、再渡豪、脳死者からの再移植を受けている。
この年、島根医大が、ついでK大が臨床に踏み切ったわけである。
一九九〇年前後、臨床がはじまった生体肝移植はまだ手探りの段階にあった。
その是非は移植外科医の間でも分かれていた。
スターツルはじめ欧米の移植外科の主流はこの治療手段には消極的だった。
欧米と日本では、脳死を人の死とすること、および生体にメスを入れることの抵抗感が逆転していた。
それには歴史的、文化的、宗教的背景があろう。
私自身、臓器移植の問題を追ってきたライターの実感でいえば、スターツルの意見に近しかった。
新しい臨床が定着するのか、立ち消えになるのか。
それは議論ではなく結果である。
百例、二百例、三百例……。
臨床例を重ね、移植された患者の成績が良く、なによりドナーの側に重大事故が起きないとすれば生体肝移植は有効な治療手段として認知されるはずであった。
だがそれは、この時点ではだれにもわからなかった。
その建物はいまはない。
K大病院の構内、蔦のからまる古色蒼然という感じの、二階建ての小さな棟である。
廊下も部屋の中も、電灯がついていてなお薄暗い。
二階にある第二外科教授室、Rの部屋には表札もなにも掛けられていなかった。
日本国内で三十数例、K大チームが二十数例の生体肝移植を行なっていたころだった。
Rは症例を重ねるたびに、その結果についての記者会見を行なったが、それ以外、メディアとの接触を閉ざしていた。
何度か秘書を通して連絡したが、「しばらくはサイレントにさせてください」という返事を受け取るばかりだった。
直接、訪れるしかないようである。
夕刻、部屋をノックすると応答があった。
それが初対面であった。
Lは小柄な体躯のひとで、穏やかで丁寧なものの言い方をする人だった。
けれども、一途で秘めたる迫力は自然と伝わってくる。
こんな人に叱られるとさぞ怖いだろうなと思わせた。
教室での渾名は「がんこ親父」。
医局員によれば、L外科の出勤時間は朝の七時過ぎ。
帰りははやくて深夜の一時から二時。
患者の容態が思わしくなければ、教授自ら当直もこなす。


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